言語哲学的観点からみた労働についての一考察。

言語ゲームにおいて規則が一致するとは、生活形式が一致するということである。」なんてことをウィトゲンシュタインは言っている。そして、「規則は教えられない」とも。クリプキ流に言うなら、「2.4.6.8……」の次に何が来るかは、厳密には決定されないのである。
机上の空論ではなくて、労働の場面においてそう感じる。複数の人間が労働という言語ゲームに参加していると、ある共通の規則というか目的のもとに動かなければならない。これがなかなかに難しく、2.4.6.8の次に11でしょ、と言われたりして、ああ、ということがよく起こる。その度ごとに規則を言語化していくのであるが、新しい場面は常に発生して、踏み外す。もちろん、生活形式が一致していない人にとっては、「1.3.5.7……」の次はと聞かれて、9だと言ったら、「13に決まってるでしょ」と言われるように響くであろう。